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宮城県松島町手樽字三浦

震災前取材

松島丘陵の南端に富山観音堂がある。ここからの松島の展望は、「麗観」と称される松島四大観の一つ。標高116mの丘陵地帯は杉、松、もみなどの大木に覆われている。かつてはこれらの木は金華山航路の目標とされた。観音堂別当寺である大仰寺本堂濡れ縁からの松島の眺望は素晴らしく、明治天皇、大正天皇もこの絶景を楽しまれたと言う。

富山観音は、石巻の牧山観音、涌谷の箟岳観音とともに奥州三観音の一つと言われ、大同年間(806~810)、坂上田村麻呂が、慈覚大師作の観音像を安置したことから始まると伝えられ、三間四方の下部の石造りが珍しい。堂内には高さ一寸八分の本尊観世音のほかに、武人姿の田村麻呂将軍の木造が安置されていると言う。

牧山、箟岳は蝦夷の大竹丸(大岳丸)と田村麻呂との戦いの伝承があり、この富山も坂上田村麻呂が大竹丸を討ち取り、ここに葬って堂宇を建てたという伝承がある。

二代仙台藩主の伊達忠宗は、別当寺の大仰寺に寺領五十石を寄進し中堂を造った。また観音堂のとなりには、伊達政宗の長女五郎八姫の寄進した梵鐘がある。