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宮城県大和町吉田字悪田西

震災前取材

 

大和町宮床山田の水田には、古くは蛇石地内に「鍛冶屋敷堰」が設けられて南川から取水されてきた。水は堰から約1kmに及ぶ用水堀を通り、潜穴水路(墜道)に導かれ、深山川に合して更に東に流れ深山堰から山田に潅水されてきた。村人達は、「宮床大堰組」を組織し、水神を祀り堰守を設けて治水や用水の事業に協力してきた。

用水設備の維持管理費を負担し、水路の清掃堰の改修等に出役し、墜道内に沈積した岩屑や土砂除去には「スドリ」を用いて内部から手送りする方法がとられ、毎年多くの労力を費やしてきた。

昭和62年(1987)、この地に南川ダムが竣功し、堰の墜道は湖底に没し、それとともに多大な労力を要してきた永い取水の歴史も幕を閉じた。現在はダムの温水を利用することとなり、豊かな用水の確保が可能になっている。

南川ダムは、多くの伝説を伝える七ツ森の懐の中にあり、ダム周辺は七ツ森湖畔公園として整備されている。仙台の近郊にありながら、四季折々の豊かな自然を感じることができる。