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宮城県東松島市矢本字笠松
震災前取材
寛文年間(1661~72)、矢本地区の新田開発にともない石巻街道の鹿妻矢本間も整備され、両側に松並木が植えられた。その面影を残すのがこの「笠松」である。
この藩政時代の松並木は、明治13年(1880)、仙台~石巻間の拡張工事や、昭和13年(1938)の飛行場建設、昭和45年(1970)の耕地整備により伐採されこの笠松のみが残った。
宮城県の歴史散策街歩き
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震災前取材
寛文年間(1661~72)、矢本地区の新田開発にともない石巻街道の鹿妻矢本間も整備され、両側に松並木が植えられた。その面影を残すのがこの「笠松」である。
この藩政時代の松並木は、明治13年(1880)、仙台~石巻間の拡張工事や、昭和13年(1938)の飛行場建設、昭和45年(1970)の耕地整備により伐採されこの笠松のみが残った。