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宮城県東松島市矢本字板取

震災前取材

昭和13年(1938)から基地の工事が始まり、17年(1942)に第1、第2滑走路が完成、松島海軍航空隊が開隊した。

  • 昭和17年、館山空松島派遣隊開隊。(対潜哨戒)
  • 昭和18年、霞ヶ浦松島分遣隊開隊。(戦闘機搭乗員教育)
  • 昭和19年、松島海軍航空隊開隊。第11連合航空隊に編入

松島航空隊では、敗戦まで96式、1式陸上攻撃機の中攻搭乗員の実機教育が主に行われた。

昭和20年(1945)松島航空隊は、第10航空艦隊に編入、本土決戦用実戦部隊となる。しかし同年3月末にアメリカ軍は沖縄に上陸を開始し始め、菊水作戦が発動され 、戦艦大和は4月初めに沖縄に向けて出撃した。松島航空隊の96式、1式陸上攻撃機の中攻隊にも出撃命令が下り、松山航空隊、豊橋航空隊とともに鹿児島県出水基地に進出し、出水部隊陸攻隊として沖縄周辺の米艦船並びに飛行場に果敢な夜間攻撃を反復したが、6月にはその大半を失うに至った。

  • 同年7月10日 仙台空襲
  • ……7月14日 釜石艦砲射撃、松島基地第1回空襲
  • ……7月15日 松島基地第2回空襲
  • ……7月17日 松島基地第3回空襲
  • ……8月09日 松島基地第4回空襲
  • ……8月10日 松島基地第5回空襲
  • ……8月15日 終戦

同年9月1日時点で、松島航空隊には1式陸攻*39、96陸攻*7、96陸輪*3、銀河*36、彗星*6、天山*4、彩雲*1、零戦*3、白菊機上作業練習機*6の合計105機が残った。

  • 同年9月15日 松島航空隊解隊
  • ……9月16日 米軍接収部隊500名到着

同年11月、アメリカでの実験機として、一式陸攻1機、銀河2機が横須賀へ空輸された。

昭和28年(1953)まで松島基地は米軍に接収されたが、その後防衛庁に返還され、米軍教官による航空自衛隊草分けのパイロットの教育が始まった。昭和57年(1982)には、飛行群第21飛行隊に戦技研究班が新編された。これが現在のブルーインパルスチームの始めになる。

現在は航空自衛隊第4航空団、第402基地防空隊などが置かれ、ブルーインパルスの本拠地となっている。