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宮城県栗原市若柳字大林外袋

震災前取材

栗原市大林寺前の迫川川岸には、かつて、御蔵場とも呼ばれた舟場があった。

舟場は、元文2年(1737)、若柳に移され、明和6年(1769)に再び大林に移されたが、元文以前からこの地には舟場があり、物資が交流されていたと考えられている。

当時、仙台藩の「本石米」と呼ばれたこの地方の生産米は、この大林舟場から、北上川に入り、石巻→仙台→江戸と積み出されていった。この地は三つの河川が合流する地点で、大林舟場は、米の運搬の重要な河港だった。

この舟場には、御蔵三棟、材木蔵一棟、火薬蔵二棟、大小44隻の所属舟があり、三迫地域23ヶ村、滝1ヶ村の計24ヶ村の上納米が積み出された。この時期、大林には人馬があふれ、船上生活者もおり、活気を呈していたと云う。