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宮城県石巻市鮎川浜丁

震災前取材

鮎川浜は牡鹿半島の先端部に位置し、三陸特有のリアス式海岸による天然の良港として漁業が盛んであった。時折、金華山周辺に鯨が回遊してくることがあり、古くから捕鯨が行われてきた。慶長11年(1606)、紀州の太地では鯨組が組織され、組織的な捕鯨が行われ始めたが、鮎川においては、浜に近づいた寄り鯨を捕獲するようなものだったようだ。

鮎川においては、天保9年(1838)頃より、組織的な網取り式の捕鯨が始まり、その後明治に入り日本はノルウェー式の捕鯨を開始すると、明治43年(1906)、東洋漁業が鮎川に進出し近代的な捕鯨基地が完成し、日本の近代捕鯨が始まった。

昭和9年(1934)には、日本も南氷洋での母船式捕鯨に参入し、鮎川は捕鯨の町として活況を呈した。しかし、1960年代になると、イギリスが捕鯨を中止し、南氷洋での捕鯨が制限され始め、昭和62年(1987)には日本は国際社会の圧力の中、南氷洋での商業捕鯨を中止、ミンク鯨とマッコウ鯨の沿岸捕鯨の中止と続いていった。

現在、鮎川の町を取り巻く情勢は厳しいものとなっているが、この地で育まれた「鯨文化」を伝承していくため、町では鯨資料館「おしかホエールランド」の整備や各種イベントに力を入れており、「牡鹿町鯨祭り」では、古式ゆかしい網代式捕鯨が港を舞台に勇壮に繰り広げられる。

 

※東日本大震災による津波で大きな被害を受け、港周辺のかつての町並みのほとんどが失われた。