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宮城県石巻市湊古館山

震災前取材

標高42mの湊館山全体を利用した城郭で、本郭と推定される頂部の平場は東西15m、南北80mの規模を持つ。本丸の西側には、幅、深さとも1.5mほどの空堀があったとされるが現在は見られない。本丸の南北には幅6~9mの腰郭が2段、東には4段築かれ、東側尾根伝いの鞍部には幅12m、深さ3mの空堀があったとされる。なお西・南・北の腰郭の下は急斜面となっている。

葛西氏家臣の笹町氏の居館とされる。笹町氏は古くは千葉氏が奥州に下向し、岩手県室根に笹町城を築いたのが始まりとされ、その分家が牡鹿郡湊館山に城郭を構え、代々地頭の位置を占めていたとされる。17代伊賀守重持の代に主家と運命を共にして没落したと云う。

その後、嫡孫の隼人介胤持が伊達政宗によって取り立てられて再興し、その子元清は寛永9年(1632)当地にて5千石を賜っている。しかし貞享年間(1684-88)、22代九左衛門の代で家系が絶えてしまった。

石巻地方には、藩政時代に江ノ島に流された栄存法印と笹町氏の因縁話が伝わるが、この話と笹町氏の断絶が関わっているかは定かではない。