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宮城県石巻市真野字萱原…長谷寺
震災前取材
むかし、この辺りは入江になっており、茫々たる葦萱密生の大原野であった。この真野に繁茂する葦は、西の方角に向って片葉を生じるところから「片葉の葦」と呼ばれている。この葦は秋になると、京の都恋しさに、偏葉ひとしく、西へ向ってそよぎ出したという伝説も残っている。
元禄2年(1689)、松尾芭蕉が奥の細道行脚の途中、石巻に立ち寄った際に、
「明くれば又しらぬ道まどひ行く袖のわたり尾ふちの牧(藤の巻)まのの萱原などよそめに見て遥かなる堤を行く」
と書き留めているのも、古歌の歌枕によるものと思われる。
萱原は開墾されて耕地と化し、かつての萱原は、わずかに長谷寺山門傍の僅か方十間程の葦池 として名残をとどめているに過ぎない。
・長谷寺
平安時代の大同3年(808)、伝教大師最澄が天台宗を開き、この寺も天台宗の修験場として創建されたとも、嘉応2(1170)年、平泉の藤原秀衡によって建立されたものとも言われている。
平泉藤原の庇護下にあったものが、平泉の滅亡後その庇護者を失い堂は荒れ果ててしまう。 中世末期になって、鷲の巣館の館主平小三郎らによって堂は修復された。