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宮城県登米市中田町石森字前田

震災前取材

別名:石森城

文治年間の初め(1185頃)、平泉藤原氏の家臣の猪塚修理の居館だったが、藤原氏没落後は、承久3年(1221)、葛西氏の一族石森右近将監康次が居館とした。天正18年(1590)、主家葛西氏が、豊臣秀吉の小田原出陣に参陣しなかったために没落し、石森氏も没落した。

その後、伊達家臣の遠藤出雲高康が松山千石城から移り居住、寛永16年(1639)には、もと大崎氏の家臣で伊達家臣の笠原出雲盛康が江刺郡角懸村から移封され居館とした。

小学校の裏山全体が城郭であったと思われる。小学校からの登り口に桝型土塁、北側に土壇、南側の山裾に水堀が残る。