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宮城県登米市中田町石森字前田

震災前取材

昔、日本武尊が東征の折に、明玉を頭上に戴き戦いに臨んだところ、行く先々、賊はこの明玉の威光に恐れ従っていったと云われる。この石を祀ったのがこの神社だと伝えられる。里人は「石大神」として崇め、この周辺の地を「石母里(いしもり)」と呼び、後に「石森」になったと云う。

承久3年(1221)、葛西氏の一族の石森氏がこの地を領し、石大神社の裏山の石森館に居し、369年間もの永い間善政をしいたため、里人から慕われ、この名を残そうと、「石母里」から「石森」に改めたと伝えられる。石森氏の主家葛西氏は、豊臣秀吉の奥州仕置により没落し、石森氏もともに没落した。

その後の寛永16年(1639)、伊達氏の家臣笠原盛康が石森領に入り、この石大神社を守護神として崇敬し社殿を造営した。その後も笠原氏は代々社殿の修営に務め、2百数十年にわたり厚く庇護した。

 

・巨巌

日本武尊が身につけていた御玉を納めたところ、年月とともに成長し、現在の大きさになったと伝える。