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宮城県登米市中田町浅水

震災前取材

七面観音は、この地の月輪館の守護神で、武運長久の氏神として、月輪七郎、六郎が祀ったと伝えられる。

この地の伝承によれば、月輪兄弟は、三位中将藤原師門の家臣で、天文19年(1551)の迫合戦、岩ヶ崎鶴ヶ城における出羽国主八条秋長(顕長)との戦いにおいて、戦い利あらず、主君師門の身代りとなり、七郎は主君の衣装を身につけ、師門を名乗って秋長の面前にて腹かき切って、太刀をくわえて逆さまに落ちて自刃した。弟六郎も同じように自刃した。妹の折居姫もまた、討峰中腹で自害して果て、月輪家は滅亡し、七面観音も祭祀者を失ったと伝えられる。その後、七面観音は、この地の肝煎の家系の佐々木家が祭祀し、現在に至っている。

この地は、天文年間(1532~55)には葛西氏が支配しており、史実として藤原師門や八条秋長の名は見当たらない。時代的には天文の乱の時期で、これらに関する争乱や、その後の葛西氏の内紛などをモチーフにした、後世の仙台浄瑠璃などの創作と考えられる。