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宮城県気仙沼市魚町二丁目

震災前取材

 

 

昭和2年(1927)、気仙沼湾が「日本百景」に選ばれた。しかしその2年後の昭和4年(1929)に、気仙沼市は大火に襲われ中心部は灰燼に帰した。昭和7年(1932)、復興の機運の中で、町の観光施設第一号として、地元魚町の青年有志の労力奉仕により浮見堂は完成した。

この浮見堂の一画にある恵比寿像は、漁業の町気仙沼の隆盛を願って浮見堂完成直後に建てられた。その後、太平洋戦争末期に、銃弾等の材料として供出されたが、平成元年(1989)に再建された。全国的に恵比寿像は座像が多く、立像の恵比寿像は珍しい。

この浮見堂からは、気仙沼港に出入りする船を目の当たりにすることができる。

※現在、2011年の大震災により、浮見堂、恵比寿像はともに失われている。