宮城県気仙沼市本吉町下川内

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御嶽神社は、藤原秀衡の妹乙和姫が勧請したと伝えられる。乙和姫は、奥州信夫荘司佐藤基治の妻となり、義経に従って平家と戦い討ち死にした、佐藤継信、忠信の母にあたる。

この神社には、吉野蔵王権現が祀られている。乙和姫は義経主従が吉野に逃げたことを知っていたのかもしれない。また子守宮とも呼ばれているようで、母としての乙和姫の、佐藤継信、忠信兄弟への祈りが込められているのだろう。

なお乙和姫はその後、信夫荘(現福島市)から本吉町馬籠に移り住み尼となり、山麓の津谷桜子に養光寺(現浄勝寺)を建てた。この浄勝寺に継信、忠信の墓がある。

また本吉は平泉藤原氏の隆盛期には「本良金」を産出し、藤原氏はこの地方を重視し、秀衡の四男の本吉四郎高衡を置いていた。

この御嶽山にも金山があったと伝えられ、金鉱の守護神として金峰山蔵王権現が祀られ、産金の御嶽でもあったようだ。

この御嶽神社の祭りとしては有名な山田大名行列がある。文政4年(1821)、山田地区に疫病がはやり、御嶽神社に祈願したことを起源とし、現在は3ないし4年に1度行われる。

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