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宮城県気仙沼市唐桑町宿浦

震災前取材

別名:北館城

唐桑は葛西氏の郎党阿部氏の居城である。唐桑半島中間部西側の宿浦の湾に面して、北館(唐桑城)、南館の二城がおかれた。当時は、湾のような重要な拠点には、東西、南北と対の城を置くのが定法だった。標高約80mの尾根上にある、東西約300m、南北約120mの山城。

葛西領内各所に動乱が起こっていた時期の天文元年(1573)、阿部四郎左衛門頼為は、唐桑半島北部の星氏の朝日館を攻め、これを落とし、一時唐桑の覇権を手中にした。しかしその後、浜田氏の援助を得た星氏が、数度の激戦の末、阿部頼為を打ち滅ぼすとある。

この後の詳細は定かではないが、天正18年(1590)の奥州仕置きに際しての葛西勢の神取山城に篭城した中に、「阿部四郎左衛門重時(本吉郡唐桑城主)」がいる。この時点では唐桑の支配権は阿部氏が握っていたものと思われる。葛西氏の滅亡とともに、阿部氏の唐桑支配も終わったものと思われる。