宮城県気仙沼市唐桑町字荒谷前

 

海へ臨む高さ15mの丘陵上に立地し、東西約60m、南北約35mで、築城主は天正年間(1570-92)、葛西氏の一族の星右京太夫忠国と云われている。

天正元年(1573)、唐桑城主の阿部四郎左衛門頼為との戦いで朝日館は敗北を喫し、城主星小治郎弾正忠信は討ち死にし落城した。そのとき、11歳の遺子千代丸は母と共に館を逃れ、気仙沼鹿折城主下折壁石見守盛次の許へと落ちた。千代丸は7年後に元服、右京進忠元と称し、姉の夫である気仙郡浜田城主千葉安房守広綱の三男、三郎綱盛の加勢を得て、仇である頼為と数度の激戦を演じて遂に討ち滅ぼしたと云う。

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