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宮城県気仙沼市八日町一丁目

震災前取材

藩政期、気仙沼は、気仙沼、鹿折、月館、新城、松崎、赤岩、岩月、最知、長磯、波路上、大島の11ヶ村に分かれていた。その中の気仙沼の地域は、中世は熊谷氏の所領であり、その城下として早くから市が開かれており、江戸時代初期には、既に気仙沼本郷と称される町場となっていた。

現在の三日町、八日町は、細浦と称された入江であったが、寛永年間(1624~44)に埋め立てられ、町場は拡大した。寛政年間(1789~1801)頃に、この地に本吉郡北方の御会所(代官所)が置かれた。これは、現在の本吉郡唐桑町、本吉町、歌津町と気仙沼市の区域を管轄する仙台藩の施設であり、侍である代官など郡方役人と、町人である大肝煎が執務した役所といわれている。