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宮城県気仙沼市松崎前浜

震災前取材

この地に、源義経の恋人の皆鶴姫が流れ着いたと伝えられる。

義経は若き日に、京都一条堀川の陰陽師、鬼一法眼のもとで、文武を学んでいた。鬼一法眼には皆鶴姫と言う娘がおり、二人はいつか恋仲になった。

鬼一法眼は、わが国に一つしかない兵法書を持っており、義経はそれを見ることを望んだがかなわなかった。義経は皆鶴姫に頼み、この兵法書を手に入れた。鬼一法眼はこれを知ると激怒し、皆鶴姫は九十九里浜からうつぼ船に乗せられ流された。安元元年(1175)のことだと言う。

船は黒潮にのって北に流され、やがて奥州気仙沼のこの母体田の岬に流れ着いた。皆鶴姫はうつぼ船の中で生死の間をさまよう状態だった。この岬に小さな庵を結んでいた僧と浜人たちはこれを見つけ、手厚く介抱したが、その甲斐もなくこの地で没した。浜人たちは皆鶴姫を哀れみ、岬に小さな祠を建て供養したという。

皆鶴姫伝説は、各地にあり、気仙沼にも別な地に漂着したと言う伝承もある。また里人に助けられ義経の子を産んだとか様々だが、結局義経とは会えずに亡くなるという悲劇であることには変わりがないようだ。