震災前取材

岩手県陸前高田市竹駒町字下壺

 

無極寺(むこくじ)は、葛西一族の壺館城主佐々木胤綱が、永正元年(1504)、大興寺の如幻和尚を招いて開山したと伝えられる。

この寺には、次のような伝説が伝えられる。
昔、無極寺では毎日朝早くから、小僧たちが臼で米をついていた。ある朝のこと、小僧たちが、いつものように、まだ薄暗いうちから米をついていると、このあたりでは見たこともない、一人の美しい女がたずねてきた。
首筋が細く、肌はまばゆいばかりに白く、長い着物の裾を引きずり、しずしずと現れた姿は、神々しいほど美しかった。そして、鈴のような声で言うには、「どうか和尚様に会わせて下され」と言うので、何事かと和尚が会うと、女は身をくねらせながら、「実は、私は人間ではありません。今から300年ほど前からこの寺の裏手の川端の底に棲んでいる主です」と言う。

そう言われてみると、首筋あたりが青ずんでおり、手のひらも魚の鱗のように光っている。和尚が驚いていると、「今私は身重で、臨月も間近で、産室に閉じこもっておりますが、寺で毎朝米をつく杵の音が、体にひびいてなりません。どうぞご慈悲ですから、身が二つになるまで毎朝の米つきをやめて下さい」と哀願する。
和尚は、意外な話に肝をつぶし、しばらくは返事もしかねていると、女は、「お願いです」と言いながら泣き崩れてしまった。その風情ではまことに哀れで美しかったが、泣きじゃくるうちに次第に本性があらわれ、ついには、ものすごい蛇体となって台所いっぱいにノタ打ちまわった。

和尚は、これを見て飛び上がり、「これこれ、お前様の言うとおりにしますので、そんなに泣かないで」とおっかなびっくり話すと、蛇体の女は、たちまちもとの美しい女に変わり、礼を述べて帰って行った。
それ以来寺では米を突くのをやめていたが、それから幾日も経たぬある日、その女が又たずねてきた。今度はお産が無事済んだものか、手には、玉のような赤子を抱いていた。女は先日の礼を述べ、「この間のお礼のしるしに」と小さな包みを置いて帰って行った。

後で、その包みを開いてみると、「龍の玉」と、「龍の牙」が入っていた。中でも「龍の玉」は、何か変事があるときは、これを握ると手汗がつく。この二品は、それ以来寺宝として今に伝えられている。またこの寺の臼は、その後、永久に「搗かずの臼」として、縄でしばったまま長い間放置されていたが、今はその所在は不明になっている。

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