岩手県釜石市橋野町第三十九地割

震災前取材

 

この釜石地方では、古くから製鉄が行われており、明治13年(1880)に、富国強兵を急ぐ明治政府により釜石に、日本で始めての官営製鉄所が造られた。その後民間に払い下げられ、明治19年(1886)頃から操業が軌道に乗り始めた。

明治25年(1892)、この地に釜石鉱山田中製鉄所栗橋分工場建設が着手され、同27年(1894)吹き入れが行われた。この年は日清戦争が始まった年で、その後の日露戦争と、鉄鋼の需要は急激に増大していった。最盛時には、年間3000トンの良質の木炭銑を産出し、職員、作業員450人、ほかに炭焼き、銑鉄の運搬などに多くの人が従事していた。しかし大正10年(1921)、鉄鋼需要の減少などにより操業を停止した。

この地一帯が分工場跡で、かつては例大祭で賑わった山神社が、ひっそりと建っている。