震災前取材

岩手県釜石市栗林町第十九地割

 

栗林銭座は慶応3年(1867)、砂子田源六の建言により、現在の花巻市大迫町にあった外川目銭座の分座として、盛岡藩から公認された銭座である。明治元年(1868)5月生産を開始したが、明治2年(1869)12月には明治政府から銭座禁止の命令を受け休山した。
ここは銭座のみならず橋野高炉の栗林分工場跡でもあった。この地での製鉄は、幕末の時代背景から、国防のための大砲鋳造を初めとする軍需への資材供給が目的だった。しかし開国により、当面の武力衝突は避けることができ、鉄の需要を失うこととなり、これを打開するための鋳銭事業だった。
しかし、明治政府が誕生し、新政府の通貨発行権の独占、地方通貨発行の停止により銭座は禁止された。その後は、経営規模も縮小し、鍋、釜、農工具等の生産を行っていたが、明治20年(1887)の釜石製鉄所の操業開始に伴い閉鎖された。

構内の面積は14,933㎡、構造は高炉式を採用し、吹き立ての動力は、直径約6mの水車を用い、20ヶ所の型場を備えていた。かつて、盛岡藩に12か所あった銭座の中で、この栗林銭座は当時の絵図面と共に遺構がよく残っている。

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