岩手県北上市稲瀬町大谷地

2011/12/07取材

 

樺山遺跡は、縄文時代中期の配石遺構群を伴う、縄文時代前期末から後期にかけての集落跡で、昭和26年(1951)の発掘調査で発見され、現在は国の指定史跡になっている。

配石遺構と呼ばれる石組み群が、丘陵西側の緩い斜面部から平坦部にかけての一帯に不規則に分布し、石を組んだモニュメントが37個発見され有名になった。

東側の高台上には約5,000年前の村が、西側の斜面には約4,000年前の村があり、配石遺構は、出土した土器や石器から縄文時代中期に造られたものと考えられる。個々の石組みの石の並べ方にいくつかの型が認められるが、花崗岩の細長い川原石1個を立てた周りに、数個の山石を放射状に並べたものが多い。

配石遺構では代表的なものとして秋田県鹿角市の大湯環状列石があるが、縄文時代後期のもので、石組み群の中の日時計と呼ばれているものが、樺山遺跡の石組みに似ており、樺山遺跡のものを祖源とみることができる。

このような配石遺構は何のために造られたかについては、墓地説と祭場説とがあるが、北海道地方では墓地がほとんどだが、その他の地方では両者があり一様ではない。この樺山遺跡では、墓であるかどうかをみるため、石組みの下の土のリン分 の分析したが、墓としての確かな証拠は得られなかった。

現在は、縄文時代中期の竪穴式住居が復元されており、史跡公園として親しまれている。