岩手県遠野市綾織町上綾織

2014/05/09取材

 

小高い杉林の中の続石と呼ばれている巨石は、古代巨石文化が残したものともいわれており、新石器時代から初期金属器時代にかけて、世界各地で見られる巨石墓の一種のドルメンではないかともいわれている。二つならんだ石の一方の上に、幅約7m、奥行約5m、厚さ約2mほどの巨石 が、笠石としてのっている。

この地は、遠野三山として信仰を集める石上山の南麓にあり、傍らには石上山の遥拝所として祀ったと考えられる山神の祠があり、この続石の下を鳥居のように人が通り抜けて行くことができる。

この続石には、次のような伝説が伝えられる。

 

・弁慶と続石

武蔵坊弁慶が笠石を持って来て、大石の上に乗せた。するとその大石は、「おれは位の高い石であるのに、 一生永代、他の大石の下になるのは耐えられない」といって、一晩中泣き続けた。弁慶はその石の気持ちを汲み、ならばということで、付近の別の石を台にしようと、笠石に足を掛けて持ち上げ、今の台石の上に置いた。

そのため、続石の笠石には、弁慶の足形の窪みがあり、台石にしようとした元の石は「泣石」と呼ばれるようになったと云う。

 

・鳥御前と山神

盛岡南部藩の鷹匠に鳥御前と呼ばれるものがいた。鳥御前はこの地の山々をくまなく歩き、早池峰、六角牛の木や石や、すべてその形状と在処を知っていた。あるとき、茸採りに一人の連れと一緒に出かけた。この連れの男というのは泳ぎの名人で、藁と槌とを持って水の中に入り、草鞋を作って出てくると評判の人だった。

二人は、この続石の所から少し上の山に入り、二人別々になり山に入った。鳥御前はまた少し山を登ると、大きな岩の陰に赤い顔の男と女とが立って何か話をしているところに出会った。彼らは鳥御前が近づくのを見て、手を広げて押し戻すような手つきをして制したが、鳥御前はかまわず進んで行くと、女はおびえたのか男の胸にすがりついた。

鳥御前はその様子から、本当の人間ではないなと思いながら、からかってやろうと、腰の山刀を抜き、打ちかかるような仕草をしたところ、その顔の赤い男は足を挙げて蹴り、鳥御前は気を失ってしまった。

連れの男は、鳥御前が谷底で気絶しているのを見つけ、介抱して家に帰ると、鳥御前は今日の一部始終を話し、「こんなことは今までに一度もないことだ、自分ははこのために死ぬかも知れない、ほかの者には誰にも言うな」と語り、三日ほどの間病んで死んでしまった。家の者が、あまりにその死に方が不思議だったため、山伏に相談したところ、「山の神たちが遊んでいたところを邪魔したため、その祟りを受けて死んだのだ」ということだった。