岩手県遠野市松崎町光興寺天神

2014/05/09取材

 

この地の諏訪神社は、中世にこの地を治めた阿曽沼親郷(ちかさと)が勧請したものと伝えられる。

阿曽沼氏は下野国阿曽沼郡を本拠としていたが、文治5年(1189)、源頼朝の奥州藤原氏征討に従軍し戦功あり、この遠野郷を賜った。建保年間(1213~19)、阿曽沼親綱が下向し遠野を統治した。

承久3年(1221)、後鳥羽上皇が承久の変を起こすと、阿曽沼親郷は信濃に出陣し戦った。ある日、諏訪湖のほとりに宿をとり床に就くと、諏訪大社の霊夢があり、大蛇の妖怪を退治するように告げられた。親郷は霊夢に従い大蛇を退治し神剣を賜った。親郷は帰国後、横田城の南に堂宇を建立し、諏訪大社の神を祀ったのが始まりと伝えられる。

この神剣を紛失したり、猿ヶ石川の水が赤変すると、それは阿曽沼家に不吉なことがある前兆とされ、この神剣を代々伝えた。天正年間(1573~92)に横田城を鍋倉山に移す時、猿ヶ石川の水が赤くにごり、神剣も紛失したというので、重臣たちがことごとく反対した。しかし移城は強行され、このためか、間もなく阿曽沼家は滅亡した。

境内のカエデの内の数株の古株は、諏訪大社から移植したものと云われ、また神社左手の石碑は、乳神信仰の願掛け石で、母乳の出ない女性が、この石の苔をとって煎じて飲んだといわれている。