岩手県遠野市小友町33地割

2013/04/24取材

 

巖龍神社の創建の時代は明らかではないが、小友村の常楽寺の開祖無門和尚が、寺の鎮護として不動明王を勧請して巖龍山大聖寺と称したのが始まりとされる。不動巖を本尊としてあがめ、羽黒派修験の源龍院が、別当職をつとめるようになったと伝えられる。

元禄年間(1688-1704)には拝殿が建立、次いで文化6年(1809)本殿が建立され、不動明王の仏像が安置された。明治5年(1872)には、神仏分離政策のため、祭神を日本武尊に改め、巖龍神社となった。

巖龍神社の背後にそびえる不動巖は、高さ約54mの巨岩で、岩のふもとに不動明王を祀ったので不動巖と呼ばれている。巌面には龍の昇降するような形状を呈しており、神社の背後にあるものを降り龍、西方小友川の淵の上にあるものを昇り龍と云い、その偉観の雄大さに、観る人をして驚かしめている。

大正13年(1924)には岩手日報社企画の岩手三景に、昭和25年(1950)には同社企画の日本百景に選ばれており、古くから四季を感じさせる景勝地として親しまれている。

「小友町裸参り」が毎年2月に行われており、貴重な民俗行事として、遠野市指定民俗文化財となっている。