岩手県花巻市田瀬

2017/05/14取材

 

安倍貞任隠れ岩は、田瀬湖の南西端にある田瀬大橋の北側の山中にある。

前九年の戦いの際に、源頼義・義家により敗れた安倍貞任は、義家に追われこの地に到った。山中に雨露をしのぐ格好の岩屋があり、川魚、山菜、獣肉等を食しながらしばらく隠れ住んだ。その間、後方の小砥森山に居館を構えることを計画したが、やがて義家に発見され、北方へ逃げ去ったと云う。

安倍一族は、奥州藤原氏がおきる以前、朝廷から奥六郡(胆沢、江刺、和賀、稗貫、志和、岩手郡)の統治を任され、この地に産する馬と砂金をうしろだてに、胆沢郡衣川に本拠をかまえ、十余の城柵に一族を配し、強大な勢力を有していた。しかしその勢力は奥六郡におさまらず、次第に勢力を拡大していた。

これを牽制するために国司として源頼義が任命され、最初は安倍氏も衝突をさけようとしていたが、頼義の任期が切れる寸前でついに衝突した。当初は安倍氏が有利に戦いを進めていたが、源頼義は出羽や津軽の豪族に働きかけ味方に引き入れ、その中で安倍頼時は討ち死にした。安倍貞任はその跡を継ぎ、盛岡の厨川まで退き態勢の立て直しを図ったが、出羽の清原氏と源頼義・義家軍に攻められ貞任は13才の我が子千代童子とともに討死し安倍氏は滅亡した。