岩手県花巻市矢沢第3地割

2012/09/08取材

 

胡四王神社は、大同2年(807)、坂上田村麻呂東征の折この地に宿営し、将兵の武運長久、無病息災祈願のため、自ら兜の中に納めてあった薬師如来を祀り創建したと伝えられる。

中世には、この地を支配した稗貫氏の庇護を受け、医王山胡四王寺として、末寺18ヶ寺を数え、全盛時代を成したが、天文年間(1532~55)に火災に遭い一時衰微した。藩政期に入ると南部藩の祈願所として社領を受け、地域の信仰を集めた。

古くから神仏混交だったが、文化15年(1804)別当が神道祀官となり、薬師如来から医薬の神の大己貴命、少彦名命に代え、村名を冠して矢沢神社とした。

明治6年(1873)に郷社となり、昭和29年(1954)、胡四王神社と改称し今日に至る。

拝殿は慶応3年(1867)に建てられたもので、入母屋、銅板葺きで、本殿は大正元年(1912)に建立されたもので、三間社流造、銅板葺きである。

又、慶応元年(1865)に、流行病を鎮める為始められたという奇祭、蘇民祭が毎年1月に行われる。

 

・胡四王蘇民祭

その昔、スサノオ命が旅の途中で日が暮れ、宿を探しあぐねて困り果てていた時、一夜の宿を求めた里の長者の巨旦将来は、冷たい態度で命を突き放した。しかし貧しいが心豊かな蘇民将来は、命をこころ良く迎え入れ、粗末ながら出来る限りのもてなしをした。その夜、眠りについた命は、霊夢により、北の国から悪疫が襲ってくることを察知し、蘇民の家に茅の輪を編んで張り巡らせた。

一夜明けると、村中どこの家も疫病に倒れたが、蘇民の家だけは無事に難を逃れた。命は旅立つ際に、どんな疫病が流行っても蘇民将来子孫家門と書いて門口に示しておけば、その災いから逃れるであろう、と言い残し去って.以来、蘇民の家は代々栄えたという。

蘇民祭は「ソミン」とも呼ばれ、花巻地方に原因不明の難病が流行したことから、この蘇民将来の説話譚に基づき、慶応元年(1865)より始められたといわれている。戦後しばらく途絶えていたが、昭和49年()、氏子青年達の手によって復活し今日に至っている。

毎年正月2日の午前9時から正午にかけて行われ、無病息災、商工繁栄、家内安全、国家安穏、五穀豊穣を願い、遥拝殿で祈念祭に始まり、白はち巻に褌、腰に注連縄を巻き、白足袋に草鞋ばき姿の年男達による裸参りと続き、山頂拝殿前にて松明を灯し境内の内外を清める浄化祭を経て、境内にて勇猛果敢にひとつの蘇民袋をめぐって奪い合いを繰り広げる蘇民袋争奪が行われる。