岩手県花巻市湯本第1地割

2012/09/08取材

 

羽山神社の創建は大同2年(807)、征夷大将軍坂上田村麻呂が、稗貫地方の蝦夷征討の際、戦勝祈願の為、羽山山頂に羽山祇命を勧請したのが始まりである。

その後、神仏習合し出羽三山羽黒山修験の荒沢薬師如来を祀り羽山大権現と称された。

歴代領主から崇敬庇護され、また村内の産土神として信仰を集め、江戸時代には南部藩主が台温泉に湯治に訪れた際には立ち寄り参拝し、更には代々の花巻城主の祈願所となった。

士籍にある者は、家を相続した時は必ず最初に此処に詣で、武運長久を祈願したという。

また、無明の疾病にも霊験があるとされ、遠近の人々にも篤く崇敬された。

江戸時代には神仏混交だったが、明治時代初頭の神仏分離令により、仏式が廃され、明治41年(1908)に現在地に遷座した。

秋の例祭で奉納される羽山神楽は、花巻市指定無形民俗文化財に指定されている。

 

・羽山神楽

羽山神社の例大祭で舞われる羽山神楽は、祭祀神楽として永く伝承されてきた。度重なる火災により、伝承記録は失われているが、その芸態から、早池峰、岳神楽の流れを汲むもので、勇壮華麗な舞を特徴とする。

花巻市内でも、指折りの伝統と格式を誇る神楽である。

 

・春日流湯本鹿踊

鹿踊は、京都六波羅蜜寺の空也上人が山居の折、漁師の犠牲になった鹿の霊を弔うために舞われたものとされる。鹿の生態を芸能化したものとされ、怨霊鎮魂、精霊供養を祈願する踊りとされている。

権現型の獅子頭と角をいただき、ササラを頭上高く抜き出した装束に身を包んだ八頭の鹿が、前腰につけた締太鼓を打ち鳴らし、歌を歌いながら勇壮華麗に舞い踊る。