岩手県西和賀町沢内新町

2011/08/01取材

江戸時代に沢内通りは盛岡南部藩の支配下にあり、寛文12年(1673)、この地に代官所が設置され、明治2年(1869)に閉鎖されるまでの197年間、この沢内通りの 政治の中心だった。

代官所には、年貢米を収める御蔵や、掟や規則などを知らせるための高札場も設置されていた。代官の交代は頻繁で、再任を入れずに162名が代官となっている。

明治5年(1872)に学制が布かれると、翌年岩手県内の十三ヶ所に小学校のモデル校が開設されることになり、沢内にもこの代官所の建物を利用して「新町小学校」が開設された。

しかしその後、この地は次第に人口が減少し、昭和37年(1962)、太田小学校と統合し閉校となった。