岩手県西和賀町沢内新町

2011/08/01取材

 

 

この地は、明治12年(1879)に西和賀郡となり、郡役所が置かれ、この門もそのときの郡役所の門であ ったが、現在は加藤家の門となっている。

 

加藤家は、もとは出羽秋田の出であり、宝永の頃(1704~10)にこの地に来たり住み着いた。加藤家には家宝として「天国の鑓(あまくにのやり)」があり、この槍は、もとは平泉の高館に住まいする者から、回りまわって加藤家にもたらされたものだった。

加藤家も平泉藤原氏の残党であり、この槍もまた、平泉藤原氏縁のものと考えられていた。加藤氏はこの槍を持っていることが差し障りになると考えたようで、享保11年(1726)、南部藩主の南部利視にこれを献上し、加藤氏はこの賞により一人扶持となった。

その後、加藤家は寛保2年(1742)、南部藩の御給人になり、沢内の開発発展に努めた。