岩手県西和賀町

2011/08/01取材

別名:天神館

典膳館は、和賀川の支流本内川右岸の、比高約40mに築かれており、城域は東西約220m、南北約330mほどである。西側の丘陵続きを堀で分断して城域を区画し、縄張りは、北から主郭、二の郭、三の郭を配した連郭式の城館である。

主郭は約120m×40mで、南に二の郭、三の郭と比較的規模の大きい郭が連なり、また主郭北側と三の郭南側には数段の段郭が見られる。各郭は堀で区画され、主郭には堀に沿って土塁が築かれている。

築城時期、築城主、館主など定かではないが、中世にはこの地一帯は和賀氏の支配下にあり、和賀氏の支配下の城館だったと考えられる。この地には、真昼山を越えて出羽国仙北に通じる脇街道が通っていたとされ、これの監視、守備する、和賀氏配下の在地勢力の城砦だったと考えられる。

この典膳館の後ろには「片倉」の地名があり、伊達政宗の重臣の片倉小十郎の先祖の出身地とも伝えられているが、真偽のほどは不明である。