岩手県西和賀町沢内字太田

2011/08/01取材

  • 碧祥寺
碧祥寺の地には、西和賀一帯を治めていた和賀氏の重臣で深沢城主の太田縫殿之助の屋敷があったと伝えられる。

寛永2年(1625)、多田弾正源延清という武士が出家し、沢内村前郷に庵を結んだが、その後3度も落雷で焼失し、寛文3年(1663)この地に移ったと云う。

この多田延清なる人物がどのような人物かは定かではないが、源氏姓の「多田」を名乗り、和賀氏重臣の屋敷跡に庵を構えたことから、太田氏か和賀氏縁の人物だったと考えられる。

この碧祥寺境内には、博物館が設けられており、マタギに関する物など、民俗資料として貴重なものが数多く収蔵、展示されている。

また、この地出身で、明治、大正、昭和の三代の天皇の侍従武官長を勤めた小山田繁蔵海軍中将が、その功績により、大正天皇の逝去の際に、大正天皇の大礼服、食器、などの遺品や、昭憲皇太后が自ら紡いだ生糸や真綿が下賜され、現在境内の奉安殿に収蔵されている。

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