岩手県西和賀町鷲之巣

2011/08/01取材

前九年の役にお いて、源頼義は鬼切部の戦いに敗れるなど形勢は不利だった。そのため、出羽の豪族の清原氏に援助を求め、その援軍を得てようやく形勢を立て直した。

そのようなことからか、岩手と秋田の県境にある西和賀町には、前九年の役にまつわる伝説が多く残っている。

平地での戦いで不利になった安部勢は、北上の黒沢尻から西に向かい、奥羽山脈の山懐に「安倍館」を構え攻勢に転じる策に出た。これに対し源勢は、和賀川の対岸に「八幡館」を築き安倍勢と対峙した。

山岳地帯の戦いは、当初は安部勢が有利に進めた。安部勢は、大きな沢に源勢を誘い込むと、山上から散々に矢を射掛けた。源勢も負けじと矢を射返したが防戦一方となり、ついには、頼みとする弓矢が尽き果て敗退した。その沢は「矢尽くしの沢」として伝えられている。

しかし、安倍勢は多勢に無勢で、戦況は次第に不利になり、ついに厨川 柵目指して退却したと伝える。