岩手県奥州市江刺区川原町
震災前取材
人首(ひとかべ)川は、全長30kmで、奥州市江刺の東部の姥石峠を源流としている。岩谷堂の市街を流れ下り、羽田地内で伊手川と合流し荒川と呼ばれて1㎞下流で大河北上川に注ぎ出る。上流の米里付近の本流や支流は清らかで、ヤマメやイワナなどの渓流釣りのメッカになっている。
今からおよそ1200年ほど昔、朝廷の命を受けた坂上田村麻呂は、蝦夷征討のため大軍を率いて奥州に攻め下った。延暦20年(801)、坂上田村麻呂は西磐井郡達谷窟を拠点とする蝦夷の大豪族の悪路王=大墓公阿弖流為(アテルイ)を討伐したが、その弟の大武丸の子人首丸は、この川の上流にある米里(旧人首村)の大森山まで逃げ延びて抵抗を続けた。しかし人首丸は、種山のふもと山大畑と木細工の二方向から挟み撃ちにあい、大森山で打ち首にされたと云う。
人々はその地を人首と呼ぶようになり、この川も人首川と呼ばれるようになった。