岩手県北上市下鬼柳

震災前取材

 

 

この地は奥州街道が通り、伊達藩と南部藩の境界に近く、江戸時代に南部藩南端の御番所が置かれた。江戸方面への関門として、藩内のいくつかの御番所の中でももっとも重きをなした。

 

慶長9年(1604)に奥州街道が整備されて間もない寛永8年(1631)、街道筋のこの地に、通行人などを取り締まる関所、藩主、公儀などの宿泊や休憩施設である御仮屋、馬を乗り継ぐ伝馬所などがおかれ、南部藩最南端の宿駅が造られた。

関所には、二人の役人のほか、同心、足軽が常駐し、鉄砲、弓、その他の武器も備えられ、有事に備えていた。