岩手県田野畑村浜岩泉

2012/04/01取材

畠山神社は、義経北行伝説を伝えており、またこの地に、南北朝期に秩父庄の畠山一族が移住し祀ったものとも伝えられる。祭神は鍬形八幡大明神で、銀像嵌の鉄鎧を秘蔵していると云う。

義経北行伝説では、義経は文治4年(1188)、ひそかに平泉を脱し、北をめざして旅に出た〟義経主従は平泉から遠野へ出て、遠野から三陸沿岸を北上したとされ、この地にもその伝説が刻まれている。

平家追討で義経と行動をともにし、「ヒヨドリ越えの逆落とし」では愛馬を背負って下ったと云う智勇の将の畠山重忠は、源頼朝から義経追捕を命じられこの地に至った。しかしこの地で愛馬が斃れたため、この地に埋め祠を建てて供養した。このとき重忠は、馬からはずした鐙と、自身の鎧を奉納したと伝えられる。