岩手県花巻市東和町北成島

2011/08/02取材

 

三熊野(みくまの)神社は、延暦年間(782~806)、坂上田村麻呂が蝦夷征伐の際に、この地で紀伊の熊野三山に戦勝を祈願したところ、難なく平定することができ、熊野三山の神威を尊び熊野の三神を勧請し、この神社を建立したと伝える。

その後、康平5年(1062)、源義家が安倍貞任を追撃しこの地に立ち寄り、熊野神社の鏑矢を収めて戦勝を祈願し、安倍氏を破り奥羽を平定することができた。

中世には、領主の和賀氏より社領を寄進されるなど庇護を受け、また元和4年(1618)には、南部利直よりも社領を寄進された。

この三熊野神社には、古くから「泣き相撲」の神事が行われている。

始まりは、坂上田村麻呂が、この地で部下に相撲を取らせたことによると伝えられる。その後、猿ヶ石川を境とした南・北成島の22歳の青年による相撲が行われ、勝った側には豊作をもたらすという占いが、流血の争いになった。

このため、宝永3年(1706)、神社氏子の長男で、数え2歳の幼児による「泣き相撲」に変わり、南北にわかれ六組で取り組みを行い、先に泣き出した方が負けと決められ、幼児の成長と豊作を祈る行事として続けられている。