岩手県花巻市太田

2014/05/10取材

清水寺は、大同2年(807)、征夷大将軍坂上田村麻呂の勧請により創建されたと伝えられる。日本三清水ともいわれている古刹である。奥州三十三所観音霊場の一つであり、また、当国三十三所観音霊場(南部藩の和賀、稗貫、紫波三郡)の一番札所でもある。

田村麻呂は、延暦年間(782~806)に、蝦夷討伐のためこの地に下り戦ったが、蝦夷の勢いは強く、思うように戦果をあげることができなかった。そこで、兜に納めていた持仏の「十一面観音」に祈願したところ、戦況が好転し、蝦夷を平定することができた。田村麻呂は都に戻りこのことを奏聞し、一宇を建立したと伝えられる。

その後、慈覚大師が東国へ下向教化の際、7尺余りの観音像を刻み、その胸中に田村麻呂の観音像を安置したと云う。

前九年の役の際には、源頼義、義家父子がこの清水観音に戦勝を祈願し、安倍氏を征討することが出来たことから、康平5年(1062)、七間四面の伽藍を建立したと伝えられる。

その後も、天正19年(1591)の九戸政実の乱の際にも、豊臣秀次麾下の軍兵が、清水観音に戦勝祈願したとも伝えられる。

藩政期には、歴代南部藩主の崇敬を得て、天和3年(1683)、享保7年(1732)、文化10年(1813)と、三度観音堂の改築が行われた。

現在の境内地周辺には、清水町、反町、宮小路などの地名が残っており、かつてこの地方の信仰の中心として、物資の供給地として賑わったことが窺える。慶長年間(1596~1615)に、南部氏の重臣で花巻城代の北信愛が、周辺にあった市場を、現在の花巻市街地に遷し、現在の花巻の礎としたと云う。