岩手県花巻市

2014/05/09取材

妙泉寺は真言密教の寺院であり、正中2年(1325)、越後の円性阿闍梨が開創したと伝えられている。その時には新山堂、仁王堂、山門、寺などがこの地に創建されたと云う。

しかしこの地には、前九年の役の際に、安倍貞任が衣川の柵で敗れた後、この妙泉寺に立て籠もったが再び破れたとの伝説が残っており、創建はさらに古いとも考えられる。

しかし、文亀元年(1501)と永禄3年(1560)の二度の火災により多くの堂宇が焼失し、一時は衰退していたが、その後この地が南部氏領となってからは、盛岡城下の東の鎮山として早池峰山に対する崇敬は篤く、別当寺としての妙泉寺も破格の庇護を受けた。

慶長12年(1607)には、盛岡藩より寺領150石と36ヶ山の寺地を与えられたほか、慶長17年(1612)には新山堂、薬師堂、本宮、舞殿、客殿などが新築され、周囲には鉄砲狭間、矢狭間を穿った築地塀と楼門を備えるなどの要害普請がなされた。また門前には六坊を置いて、禰宜として奉仕させた。

要害普請は、盛岡城が危急の時には、宮古へ落ち延びる場合の、一時の隠し砦としての性格を持たせていたためであった。

さらに、盛岡城下に、2万8千坪もの広大な宿寺を賜り、京都御室御所仁和寺の直末寺となるなど、領内安全、天下泰平、諸願成就の祈願所として大いに繁栄した。

しかし、明治の廃仏毀釈によって廃寺となり、現在は早池峰神社本殿(新山堂)と、代々の住職が住んでいた庫裏、そして客殿内に祀られていた仏像の一部を残し破壊された。