岩手県滝沢市

2016/11/05取材

岩手山は、岩手県の八幡平市、滝沢市、雫石町にまたがる、二つの外輪山からなる標高2,038mの成層火山。岩手県の多くの地域から臨むことができ、岩手県のシンボルの一つとされている。奥羽山脈の主稜からは離れており、独立峰に近く、東の盛岡側から見る姿は富士山のように長い裾野を引く整った形で、「表岩手」と呼ばれている。南の雫石町や北の八幡平市松尾方面からは、外輪山の連なりが凹凸をなし、「裏岩手」と呼ばれている。

春の表岩手には、残雪の形が飛来する鷲の形に見えるため、別名、巌鷲山(いわわしやま)とも呼ばれていたが、その音読みの「がんしゅ」が、「岩手」と通じることから転訛したものだとも言われる。また、静岡県側から見た富士山に似ており、その片側が削げているように見えることから「南部片富士」とも呼ばれている。

古くから信仰の山で、山頂外輪を取り囲むように石仏があり、山麓には岩手山神社が祭られている。前九年の役以後、巌鷲山大権現大宮司として、伊豆の「栗谷川家(厨川、工藤)」が代々祭事を務めている。

 

・大鷲の伝説

昔々、この辺にまだ人が住んでいなかったころ、八戸地方には田も畑もあった。ある年、八戸地方に一羽の大鷲が現れ田畑を荒らすので百姓たちはひどく困っていた。そこに仙台方面から一人の乞食がやって来たので、その乞食に鷲が来たら追い払うように見張りをさせた。

ところが、見張りがいても、大鷲は恐れる様子もなく、田畑を荒らし、あげくの果てに、四歳になる子供までさらっていってしまった。乞食は「こりゃてぇへんだ」と大慌てで鷲を追いかけた。

大鷲は、乞食をからかうように、少し先まで飛ぶと羽を休め、追いつかれて捕まりそうになればまた飛び上がり、また止まっては捕まりそうになれば飛ぶを繰り返すので、乞食はついつい岩手山まで来てしまった。

大鷲は大きな岩に止まったか思ったら、たちまち神様の姿になり乞食に向かって、「わしは鷲ではない。この山の神霊である。この山はまだ開かれていないので、お前にノギノ王子という名前を与える。この山を開いて祭りごとをせよ」と言い さらってきた子供をかかえて、いずこともなく消え去ってしまった。

乞食は仕方なく八戸に戻って見ると、荒らされていたと思っていた田はもとどおりになっており、さらわれた男の子も無事に戻っていた。乞食からこのことを聞いた村の人たちは、大変驚き、荒らされてもいないのに荒らされたと大騒ぎをしたことを悔やみ、みんなで神様を祀った。このことがあってからその山は巌鷲山と呼ぶようになったと伝えられる。

 

・岩手三山伝承

遠い昔、雄神の岩手山は、女神の姫神山を妻とし、南の早池峰山を妾としていた。姫神はこれに嫉妬し、その激しさに岩手山は夫婦の縁を切ってしまった。姫神はこれに怒り、麻をつむいだ丸緒を岩手山の裾野に投げつけた。これが数多くの塚になり、やがて丸緒森になった。

また、姫神を追い出すとき、岩手山はオクリセンという家来をつけ、ずっと遠くへ送るよう命じたが、姫神はすぐ近くの真向かいに座り動こうとしなかった。岩手山はこれを見て大いに怒り、命を果たせなかったオクリセンの首をはねてしまった。その首は、岩手山の右裾に見える大きな瘤になった。

こうしたことから、姫神山に登る人はその年は岩手山に登ってはならず、岩手山に登る人は、姫神山に登ってはならいと云う。