岩手県久慈市長内町

2012/03/31取材

 

久慈市の玉の脇から南部の小袖集落にかけては、段丘崖や、海水の侵食を受けた花崗岩の岩礁、海食洞などの変化に富む岩石海岸をなし、昭和46年(1971)陸中海岸国立公園に追加指定された。

明治4年(1871)廃藩置県が行われると、それまでの幕藩体制は弛緩し、この地の漁業における既得権益も揺らぎ始め、新規参入する者も多く現れ混乱した。このため、この地では夫が出稼ぎに出、ほぼ全世帯の妻らは干潮時の磯で海草を採取したり、素潜りでウニやアワビを採捕したりするようになった。

採捕した海産物は、久慈の中心部に立つ市に持ち込んで売っていた。女性たちは町までの10km以上に及ぶ三陸海岸沿いの山道を、市日が始まる早朝までに着けるよう夜通し歩き運んでいたという。

昭和34年(1959)、NHKラジオでラジオドラマ「北限の海女」が放送され、全国的な人気を博し、北限の海女が全国に知られるきっかけとなり観光客の注目を浴びるようになった。昭和59年(1984)、三陸鉄道が開業すると、観光客の増加が見られるようになり、昭和60年(1985)には観光用素潜り実演の窓口となる「小袖海女センター」が小袖漁港に設置された。

この頃に海女は100人以上を数えたが、次第に減少していった。しかし地元の様々な取り組みの中から、岩手県立久慈東高等学校の生徒が「北限の海女クラブ」を結成し、女子高生観光ガイドとして活動しはじめた。平成19年(2007)のフェスティバルには、そのメンバーの大久保恵実などが素潜り漁実演を始め、また母親が元北限の海女だった演歌歌手の金澤未咲のショーも行われるようになった。

平成23年(2011)3月の大震災により、この地方も大きな被害を受けたが、それまでのこの地の取り組みをモデルとして、NHKの朝のテレビドラマ「あまちゃん」が放映され全国的に評判となり、この地方の復興の一助になった。

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