岩手県八幡平市平舘

2013/06/10取材

平館城は赤川の右岸、北東側に延びた比高約40mの稜線先端に築かれた山城である。北側、東側に延びた尾根先端にも郭を配している。主郭の規模は10m四方ほどで狭く、物見の郭と思われる。北側は断崖、東側はなだらかな尾根が東郭に繋がり、西側の館山に繋がる稜線尾根は二重堀で遮断されている。

築城年代、築城主ともに不明であるが、三戸南部氏の庶流の一戸氏がこの地に入部して築いたとも伝えられる。天正年間(1573~92)には、一戸南部氏の庶流の一戸五郎光恒の子孫に当たる、一戸城主一戸政連の弟の政包が、平舘氏を継ぎ1千石を領してこの地に居した。

しかし、天正9年(1581)、平舘政包は九戸政実により一戸城に誘い出され、一戸城主の兄の一戸信連とともに謀殺されたと伝えられる。しかしこれには異説もあり、九戸政実の乱の際に政包は政実方に付き、三戸方の田頭城を攻めたとする資料もあり、一戸城の事件は政包が実行したものとも思われる。

乱後、平舘氏は断絶したが、その後、南部信直の命により津軽石重行の子が平舘彦六を名乗り平館家を再興したと伝えられる。