岩手県八幡平市

2016/09/25取材

  • 安比川と七時雨山
七時雨山は、日に何度も天候が変わることが山名の由来といわれている。

七時雨山峰は約110万〜90万年前に活動した七時雨火山を構成する溶岩ドームである。

江戸時代には、山麓西側を、盛岡から花輪まで続く鹿角街道が通っており、尾去沢鉱山の輸送路として盛岡を結ぶ最短ルートとして利用されてい。

また古くから雨乞いの山として信仰を集め、それにまつわる多くの伝説が残っている。

 

・雨乞い伝説

 

七時雨山麓の寺田には、雨乞い祈願に鰊を供えるならわしがあり、次のような伝説が伝えられている。

ある若者が七時雨山の権現さまに雨乞いした。しかしいくら祈っても一滴の雨も降らなかった。若者は怒って、昼飯のおかずにもってきた鰊を、「こんなにお願いしても雨を降らさねえのか、これでも喰らえ」と権現さまの口に突っ込んだ。すると、あれやあれやという間に、大きな雨水おけをいくつも、ひっくり返したような大雨が降り出した。

若者は驚き恐れ「権現さま、許してくだせえ」とあやまりながら、一目散に山を下りだ。それからは、雨乞いには鰊を供えて祈願するようになったという。

 

・継子いじめ

 

七時雨山のふもとに夫婦が住んでいた。子供が二人いたが一人は先妻の子で、継母は何かというとその子に当たり散らしていた。

ある日継母は、その子供を連れて山へ登った。お日さまが、照りつける日で、継母は「水を汲んで来い」とその子に言いつけた。子供は谷におりようやく水を汲んできたが、継母は「ゴミが入っている。こったなもの飲めるが」といって捨てて、汲み直してくるように命じた。

子供は七回も汲み直したが、継母は意地悪く捨てた。子供は暑い日ざしの下でまた水汲みに谷に下りて行ったが、悲しみと疲れで動けなくなり、そのまま死んでしまった。

これを見ていた神さまが哀れに思い雨を降らせた。その雨は一日に七回も降った。村の人たちは「継母ににいじめ抜かれて死んだ子の涙雨だべ」と語り合い、この山は七時雨山と呼ばれるようになったと云う。

 

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