岩手県八幡平市田の沢
2016/09/25取材
大きく東の「おばだけ」「めねず」と呼ばれる平場と、「たて」「蔵屋敷」と呼ばれる西の平場に分けられ、出土物から、東側は居間で、西側は塁砦の役割だったと考えられている。
東郭と西郭は空堀で区画され、西郭西側には空堀と土塁が見られ、切岸の中段に空堀が設置されている。
この地は、津軽街道を見下ろす高台に位置しており、これを扼する機能を持った城館と考えられる。
築城時期や築城主など詳細は不明だが、南部氏に属した在地領主の日常居館だったと思われ、伝承によれば目名市(羽澤)左馬助が居していたと伝えられる。
目名市氏は九戸の乱の際には九戸方につき、乱後、三兄弟がこの地に逃れ、末弟の重明がこの地に残り帰農し、上の二兄弟はこの地を去りさらに秋田方面に逃れたと伝えられる。