岩手県八幡平市

2016/09/25取材

  • 八幡平の夕暮れ
八幡平は、およそ100万年前に噴出したいくつかの火山でできている。頂上部には9千~5千年前に発生した水蒸気爆発により、多くの火口ができている。その火口に水がたまり、八幡沼やガマ沼、メガネ沼などの沢山の火口沼が形成された。

八幡平一帯は地形がゆるやかで、残雪が豊富なことから沼や湿原が多い。湿原にはさまざまな高山植物や湿原植物の群落が発達し、アオモリトドマツやブナの原生林、針葉樹林帯が形成されている。

この地の伝説によると、延暦16年(793)、征夷大将軍の坂上田村麻呂は、桓武天皇から蝦夷征伐の命を受け、奥州に下った。そのころ岩手山の山中では、大猛丸を大将とした蝦夷勢力がたてこもっていた。

将軍は、敵に総攻撃をかけて敵の大将を討ち取り勝利を収めた。敗走した賊軍の兵たちは、登鬼盛(ときもり)を新大将とし、鹿角で陣容を整え勢いを盛り返し、再び八幡平方面へ進攻してきた。

将軍は、再びこれを討ち滅ぼすためこの八幡平へ兵を進めた。そのとき将軍は、八幡平頂上付近で、瑠璃色のきれいな水をたたえた沼や美しい花が咲くこの地の美しさにおおいに感動し、全ての兵を集めて戦の神である八幡大菩薩に必勝祈願した。

官軍の士気は大いに上がり、賊軍を迎え撃ちこれを打ち破り、焼山付近へと敵を追撃、焼山の鬼ケ城付近で登鬼盛を打ち取り賊軍は壊滅した。

将軍らは帰りに八幡平の山頂に登り、八幡大菩薩に戦勝報告し、将軍はこの山を八幡神への感謝をこめて「八幡平」と名付けたと伝えられる。

 

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