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高倉宮以仁王が、上州より桧枝岐に落ち延びてこの地に至り、その時に、供の一人が冷たいこの清水を見つけ、以仁王の渇きを癒すために差し上げた。このことから、その後、この清水は「安宮清水」と呼ばれるようになった。
福島県桧枝岐村下ノ台
震災前取材
高倉宮以仁王は、後白河天皇の第三皇子 で、平家の専横に対して、源頼政の勧めに従い平家追討の「令旨」を全国の源氏に発し、平家打倒の挙兵をうながした。自ずからも挙兵を試みたが、事前に計画が漏れ平家に追われ、奈良の興福寺へ向かう途中に追討軍に追いつかれて討たれたとされる。しかし、以仁王の顔を知るものは少なく、東国生存説が巷に流れた。
会津には高倉宮以仁王が逃れてきたという伝承が多くあり、この地の伝承もその内の一つである。