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福島県白河市表郷中野字正司戻

  • 庄司戻しの桜
 

治承4年(1180)、源頼朝の挙兵を知った源義経は、奥州平泉から鎌倉に馳せつけた。義経には信夫の庄司、佐藤基治の子の継信、忠信が従ったが、主従が鎌倉に向かう途中、佐藤基治は主従をこの地まで見送った。

別れにあたり基治は、継信、忠信に対し「汝ら忠義の士たらば、この桜の杖が生づくであろう」と諭し、携えていた一本の桜の枝をこの地に突き立てた。この後、継信は屋島の戦いで義経の身代わりになって矢を受け討ち死にした。忠信は、源頼朝に追われ吉野に逃れた義経を逃すために、単身京の義経の館に戻り、鎌倉軍と戦い自害した。

桜はその忠節に感じて活着し繁茂したという。後の天保年間(1830~44)、野火によって消失した後も、新しい芽が次々と出て、美しい花を咲かせるという。