福島県二本松市小浜字反町
2015/04/16取材
本尊は身の丈一尺四寸、胴回り一尺七寸の木像である。
伊達輝宗がこの地の宮森城主だったとき、我が子政宗が大成することを朝夕祈願したとされる。
往時は御堂には扉もなく開放的で、子供たちが地蔵と遊ぶ姿が良く見られた。また、家族が病気のときなどは、御本尊を隠密に借り受けて家に持ち帰り平癒を祈願し、全快すると再び隠密に持ち帰り御堂に安置すると云った習わしもあった。
数百年の星霜とともに、今では頭部も胴体もすり減り原型を留めていないが、これこそが尊い姿であると一層の信仰を集めている。
昭和10年(1935)、伊藤某が石の尊像建立を発願し、一万人から一銭ずつの浄財を仰ぎ、身の丈五尺一寸の石像を安置した。
この地蔵尊の信仰から、この地域には次のような話が伝えられる。
むかし、川岸で子どもたちが、お地蔵さまをおぶって遊んでいた。そのうち雷がとどろき、大雨が降ってきたので、子どもたちは、お地蔵様を置きっぱなしにして帰ってしまった。雨はどんどん降り続け、お地蔵様は流されてしまい、何日も石にぶつかりながら現在の宮城県の荒浜まで流された。
荒浜の人たちは誰もお地蔵様に気がつかなかった。そのうち荒浜に悪い病気がはやりだし、困った荒浜の人が祈とう師におがんでもらった。祈とう師のいうことには、「荒浜に地蔵様が流れついていて、その地蔵様が小浜に帰りたがっており、悪い病気が起きているのはそのためだ」と言う。
それを聞いた荒浜の人達は、地蔵様を捜し出し、小浜に届けた。その後、荒浜では悪い病気はなくなり、小浜では地蔵様が帰ってきて、その後も大切にされ信仰を集め続けたと云う。