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福島県会津若松市神指町南四合字幕内西

 

 

康暦元年(1379)年、佐原十郎義連の子孫の葦名直盛が始めて会津に入ったがこの幕内の地だとされる。

直盛は戦勝を祈願し、先祖が紀州より勧請した熊野神社を幕内に祀った。社殿は壮大なものだったが、その後天文5年(1536)の洪水により社屋が流されこの地に遷座した。

直盛は永徳2年(1382)に幕内から小館に移り、さらに至徳元年(1384)に小高木に館をつくり、これを東黒川館と号したという。これがのちに黒川城となる。