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福島県国見町石母田字硯石

 

弁慶の硯石とよばれる石は、国見町の硯石山の頂上にある。古文書には、「石面に縦二尺余、横一尺五寸許りなる硯の海を穿って常に水を湛えたり、百日の旱魃にもいまだ嘗て涸るることなしと、(弁慶)法師筆を採りて着到を付けられし所成るべし…」とある。

西側を流れる滝川の対岸には、弁慶の踵清水と称する湧水ががあり、また近くには義経の腰掛石など、この地には義経、弁慶主従にまつわる伝説が多く残されている。

また、この山には山頂から南麓にかけて横穴古墳群の分布がみられ、戊辰戦争には仙台藩が構築した砲台場もあった。

この硯石山は四方に眺望が良く、この地の景勝の地である。この山の北麓から阿津賀志山麓にかけての地域は、文治5年(1189)、源頼朝率いる鎌倉軍と、藤原国衡率いる奥州軍が古戦場で、この戦いは、源義経が衣川館で藤原泰衡により謀殺されてから約百日後の出来事であった。