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李氏朝鮮の時代は、その初期の時期を除き、両班による党派抗争の歴史と言っても良い。 両班は、古い時代の部族の長や、地方地主などが主で、李氏朝鮮時代の貴族階級で、身分制度の最上位に位置していた。官僚機構は、科挙により選抜されていたが、実質的には両班により独占され、特権階級を構成していった。

李氏朝鮮での身分制度は、大きく、両班、中人、常民、賤民と言う四段階に分けられ、さらに細かく分けられていた。その身分制度は厳しく、貴族階級に当たる両班は、儒教の教えのもとに、労働行為そのものを忌み嫌い「転んでも自力では起きない」「箸と本より重いものは持たない」と言われ、労働をしないことを徳としていた。それに対して賤民は、馬牛とともに売り買いされる「奴隷」であり、妓生もこの賤民にあたる。

両班は、農、工、商には従事せず、儒学だけを勉強し、科挙を経て高級官職にも昇進することができる特権を持った。そして、官僚になれば、土地と俸禄などを国家から受け、巨大な地主階級を形成していった。このような経済的な基盤を土台にして、権門勢家の門閥を形成し、互いに利権を異にする派閥を作り、血なまぐさい対立抗争を起こすようになった。

末端の行政、警察を担当する下級官僚は、直接平民たちを支配する実権を握り、社会的に一つの大きい勢力を形成していた。常人の大部分は農民で、彼らは国に対して租税意外にも各種の義務を負担し、地方官などの搾取対象で、その生活は一般的に悲惨なものだった。 商工業は、特に卑しいものとされ、従事する人は、そのほとんどが賤民だった。

このようなことからか、陶磁器の作りはひどく粗末で、刀やその他の刃物は価値が低いなど、工業技術で見るべきものは少ない。また貨幣経済が遅れ、道路などのインフラ整備もなされなかったこともあり、商業も発達しなかった。また、ハングル文字が15世紀になって作られたが、両班は中華思想の影響から漢文を好みハングルを蔑んだ。両班は中国文学を好み、儒教を学んだが、暦学、天文学とともに中国のコピーであり、それを越えるものは生まれなかった。

常人や賤民からの租税などは、道路などの社会的なインフラ整備や、産業の振興などに使われることはまれであり、その多くは両班ら支配階級の私腹を肥やすためのものだった。 このような状態は、李氏朝鮮末期にはますますひどくなり、当時の状況が、外国人によって次のように記載されている。

「朝鮮の貴族階級は、世界でもっとも強力であり、もっとも傲慢で、両班は、いたるところで、まるで支配者か暴君のごとく振る舞っている。」

「大両班は、カネがなくなると、使者をおくって商人や農民を捕えさせる。その者が手際よく金をだせば釈放されるが、出さない場合は、両班の家に連行されて投獄され、食物もあたえられず、両班が要求する額を支払うまで鞭打たれる。」

「彼らが農民から田畑や家を買う時は、ほとんどの場合、支払無しで済ませてしまう。しかも、この強盗行為を阻止できる守令は、一人もいない。」

「両班が首尾よくなんらかの官職に就くことができると、彼はすべての親戚縁者、もっとも遠縁の者にさえ扶養義務を負う。彼が守令になったというだけで、一族全体を扶養しなければならない。」

「これに十分な誠意を示さなければ、貪欲な者たちは、守令の留守のあいだに、彼の部下である徴税官にいくばくかの金を要求し、応じないと、彼の手足を縛り厳しい拷問にかけ、ついには要求の金額をもぎとる。」

「守令がこの事件を知っても、掠奪行為に目をつむるだけである。官職に就く前は、彼自身も同様のことをし、また、その地位を失えば、自分もそのようにするはずだからである。」